うたごえ新聞掲載記事・2012年

北九州関係の掲載記事を転記します。
 (うたごえ新聞社了解済)

4月23日号
村永さんのお手本
 4月9日号”北から南からホットライン”村永チトセさんのFMデビュー。 村永さんの活動,お手本にしなければ。 また紹介曲「空をみていますか」は”うたごえ喫茶みつばち”のテーマソング。 ステキな詩なので我が家のピアノで弾いてみると,曲も良くてすっかり好きになりました。
美濃部恒子(北九州市)


4月2日号
反原発ソング大いにアピール
 北九州(隣・佐賀県の玄海原発をなくそうと,1万人訴訟も始まっている)では小倉北区のメディアドーム前広場に約5000人が参加しました。 10時からステージでは歌,バンド演奏,シンポジウムをはさんで子どもたちと一緒のライブ演奏と続き,本集会では呼びかけ人のリレートーク,原発被災地からの避難者3人の発言,地震発生時刻に黙とうしデモ・パレードに移りました。
 原発被災者の生々しい発言は参加者の胸をうち,「原発をなくそう」の思いをさらに強くしました。 風船をもった若い親子連れ,ゼッケンやプラカードを持ち派手な被り物を頭につけた若者も目立っていました。
 うたごえは開会前28人で「花」「青い空は」「上を向いて歩こう」を歌い,本集会までの空き時間に40名ほどで「原発はいらない」「決意」「風よふるさとよ」を練習し,デモ送り出しでは32人で覚えたばかりの「原発はいらない」など4曲を繰り返し歌いました。 ステージのうたごえに手を振る人も多く,デモ行進が会場を出て行くまで歌い続けました。 青空は見えるものの冷たい風が吹き,寒さに堪えながらの5時間余の集会でしたが,「反原発」ソングをこれからも大いに歌わなければとも思いを新たにしたひと時でした。
綾正博(福岡のうたごえ)


3月26日号
胸打つ福島の声
 北九州の”さよなら原発集会”で,福岡のうたごえとして開会前に「青い空は」「上を向いて歩こう」などを歌いました。 午後の本集会で福島の原発被災者からのメッセージは胸を打たれました。
美濃部恒子(北九州市)


3月19日号
50年分の思い出いっぱい
北九州青い空合唱団 50周年祝賀会

 北九州青い空合唱団は1961年1月に,前身である「北九州青年合唱団」として皿倉山に抱かれた八幡の地(現在・北九州市八幡東区)に誕生しました。 それから半世紀という歳月のなかを「時代」の荒波をかぶりながら先輩たちによって引き継がれ,守られ今,合唱団創立50周年という歴史の節目にくっきりと立てたことが何よりの喜びです。
 昨年3月20日に50周年記念コンサートを開き,800人を前に演奏したのもつい昨日のように思えます。 3・11東日本大震災のすぐあとでもあり,開くことに迷いもあった中,「うたごえは生きる力」を信じて開催し,「平和」と「反核」の思いを深く共有できたコンサートになりました。
 そして一連の記念行事として,今年2月26日,50周年記念誌・団歌・団旗の記念製作お披露目もかねて多くの先輩たちやお世話になった方々,共同してがんばった人たちに集まっていただき共に喜び合いたいと記念祝賀会を開きました。
 小倉駅そばのホテルの祝賀会場には200余人もの参加で盛況の中,スピーチあり歌ありダンシングあり,なつかしい出会いあり,OBと一緒になり,心から楽しんだ一日になりました。
 なかでも,当日の参加者に謹呈したいと約1年がかりで準備した「記念誌〜青い空〜」は,みなさんに大好評で迎えられました。 大先輩たちが積み上げた歴史が封印されていた膨大な資料を紐とき,一年近くかかって編纂した記念誌の内容は,まさに北九州の青年運動・うたごえ運動の歴史そのもの,北九州青年合唱団から北九州青い空合唱団になるまでの栄光と挫折?! そして発展へのエピソードが山もりで,「写真で見る50年」も大好評の自信作になりました。 頒布用もありますので,全国の方々にも手にとってご高覧いただけたら幸いです。
 私たちはこの大きな感動を財産として,また新たな第一歩を刻んでいきます。 これからも「わが町北九州」にうたごえの輪をさらに大きく拡げていきたいと思います。
福岡・江口道子(合唱団副団長,記念誌編集委員)