うたごえ新聞掲載記事・2008年

北九州関係の掲載記事を転記します。
 (うたごえ新聞社了解済)

12月22日
プログラムから体感
 日本のうたごえ祭典,全部参加したわけではないので改めてプログラムをみてみる・・・なんと内容のある祭典だたことか。 会場での人,人,人の大波,みんな仲間なんだという実感が・・・たくさんの元気をもらった。
美濃部恒子(北九州市)


11月17日
早乙女勝元さんの投稿
 ”本紙への感想”欄に早乙女勝元さんの投稿が!
 (11/3号)うたごえ新聞読者とは嬉しいですねー。
小松恭子(北九州市)


9月22日
随想うたごえ時間・憲法の心,思いのたけを九州から
 今年の九州のうたごえ祭典は佐賀で開催する。 音楽会を含めたうたごえ祭典としての開催は初めてのことである。 佐賀のうたごえは比較的若く経験も浅いが,昨年は平和コンサートを大成功させ,今年も祭典成功への意気は高く,目を見張るほどの広がりをつくっている。
 プログラムでいえば,合唱発表会の後は,「青年フェスタ」,翌日の音楽会では,地域の子どもたちの合唱団と太鼓,器楽など多彩な音楽家の演奏,高齢者,医療のうたごえに加えて,嬉しい青年のステージ,九州合同演奏と「平和の旅へ」と続き,担当者は時間短縮に頭を抱えている。
 地元の出演参加は確実に広がり,8がうt30,31日に佐賀市内で開いた今年3回目の九州合同練習会は178名が参加した。 (本番は約250人? それも嬉しい悩みの種である)
 近年の九州合同演奏は,開催地で活躍する音楽家による指揮が恒例になり,今年も水頭順子,山本裕之両氏の人柄と指導に感動しながら練習を重ねている。 何度も歌ってきた「平和の旅へ」も新鮮な演奏で新たな感動を呼ぶに違いないが,九州合同曲の一つ「私たちが進みつづける理由」も,わかりやすく胸に落ちる指導で,私たちは今この曲を歌う意義と魅力を深めている。
 近年顕著になってきた,音楽専門家の協力は,うたごえ運動にとって嬉しい限りである。 音楽力の向上や歌い手の広がりなど,その校歌は計り知れないが,甘えている訳にもいかない。 国民に犠牲を押し付け,怒りの声が増すと投げ出す首相が続く無責任政治のもとでうたごえの役割は大きい。 人間らしく生きたい,まさに憲法の心が求められている今,思いのたけをうたごえに乗せて広げたいと思うのである。
 今年,うたごえ60周年。 10月18,19日佐賀市文化会館の九州祭典もぜひ覗いて欲しい。 但し,席の保証はしかねるが。
綾正博(福岡県のうたごえ協議会議長)


9月1日
北九州平和行進「八月の小倉」演奏
 北九州は7月21日,門司駅前出発式にて,私たち「おおかわうたう会」7人参加で「原爆を許すまじ」と,この一年余りに亘り,機会ある毎に歌い続けた北九州うたごえ創作会議作,「八月の小倉」を歌いました。
 「八月の小倉」は「もしも8月9日の小倉の空が晴れていたなら原爆は長崎ではなく,この北九州小倉に間違いなく落とされていた。 その事を決して忘れまい。 長崎の苦しみを忘れまい。 後世に必ず伝えて行こう」と創作されたものです。
 今年の8月9日は「うたう会」の仲間で平和活動の先頭に立たれた牧ノブ子さんが,一昨年は門司平和委員会の井上義昭さんが亡くなられ,お二人の思いを「うたごえ」と共に伝えて行かねばと思い新たにした今夏です。
森田清美(福岡)


7月21日
教育シンポで演奏「教育基本法」他
 6月21日,北九州市小倉北区で,北九州子どもと教育のために手をつなぐ会や北九州革新懇などの共催で市民教育シンポジウムが開かれました。
 基調報告は,全日本教職員組合教育文化局長山口隆さんの講演「みんなで力を合わせて,どの子も,すこやかにはぐぐく教育を」で,文科省の,勉強のわからない子どもをつくりだす方策や,全国学力テストの弊害を話されました。 シンポジウムではパネリストの母親,中学教師,教育運動を進めている人の話を聞いて,学校教育がそこまで悪くなっているのかと強く思いました。
 このシンポジウムに演奏がくみこまれ,教職員サークル”エデュカス2002”と北九州青い空合唱団から10数人で「教育基本法」「一人の手」「夏の思い出」を演奏。 参加者からも「雰囲気がやわらいだ」「楽しかった」と好評でした。
山本猛雄(北九州のうたごえ)


7月14日
戦わないルールを
 ”空を見てますか”6/23号のクラスター爆弾の記事で,「ルールを決めることができるのなら戦わないというルールを作れ」と言われることに全く同感です。 勝っても負けても深く傷つく戦争が,なぜ世界からなくならないのか・・・命の尊さを一番教えるはずなのに宗教戦争があることも理解できない・・・「人間ってよほどのアホか・・・?」との池辺氏の言葉にも同感。
美濃部恒子(北九州市)


7月7日
平和大行進50周年
 平和大行進50周年。 私も都内在住の時は夢の島からの出発へ参加していました。
 1958年,第4回原水爆禁止世界大会をめざし,広島から西本あつしさんが1人で歩きだしたのが始まりと知りました。 その1人の1歩が50年続けられているのは本当にすばらしいことです。
 北九州小倉地区の平和行進は7月20日です。
美濃部恒子(北九州市)


6月9日
歌うことは生きること・北九州青い空合唱団,総会から
 午後,北九州青い空合唱団総会に,夜は北九州うた新フォーラムにうたごえ新聞編集長三輪純永さんを迎えました。
 加来浩佶団長が2月の全国総会から帰って,団の発展のためにも北九州の仲間にも,三輪さんの話はきっと大きな力になるからと,一方的に宣言があり,団員も賛成しました。 団集団創作曲「おにぎりのうた」で歓迎演奏した後,三輪さんの取材を通してのお話。
 あさやけ作業所の仲間たちの姿は,生きるいのちそのもの,声は出なくてもケイレンを起こしても自分の存在を訴えようとする姿に感動するよりびっくり,カルチャーショックの中で紙面を綴ったと三輪さん。 脳性マヒの人はことばとして表現できない分,物事を深く考えることができるという話に感動した私です。 うたごえ運動に”生きる力”のあいことばが加わったのは1979年の「あさやけの仲間たち」の合唱発表会のステージ,つづく翌年の日本のうたごえ祭典のステージ・障害者のうたごえの感動からということを知りました。
 合唱連盟会長浅井敬壹さんの,うたごえに対する深い理解のこと,「原爆を許すまじ」ができたいきさつを当時の人に聞いたお話,全日自労のうたごえ仲間のエピソードなど,三輪さんの次々に語ってくれました。 当時の全日自労の女性たちのたくましさ,女らしさは彼女たちが舞台で魅せる真っ赤なドレス,戦争や貧乏をなくしたい,死ぬ時に着たいと身に着けた赤いロングドレスはその象徴です。 「俺たちのシルクロード」は,ローカル線廃止反対闘争の中から,♪どんな宝よりも大切な愛をのせて・・・,としなやかな感性で曲になったのです。 三輪さんの話にすっかりひきこまれました。
 いま日本中が貧困と格差の中でゆれています。 パソコンに入ってくるSOSのメール,ネットカフェ難民と呼ばれる若者たち・・・。 うたごえになにができるか問われていますが,うたごえには無限の力があると信じます。 うたごえは日々進化しています。 あの「ねがい」が世界にひろがったように,あさやけの仲間を叫ばせたように,そして何より私たち自身が生きるよろこびをかんじているように。 明日うたびとになる多くの人々へのメッセージとしてうたいつづけようと改めで思った三輪さんのお話でした。
江口道子(北九州青い空合唱団)


6月2日
矢野氏とうたごえ祭典
 小泉首相の「三位一体改革」で財政難の中,平和フェスタをされたこと。 市長自ら園長役をされた「ぞうれっしゃー」みたかった。
 矢野さんのような首長さんが増えたら日本中の音楽,文化がもっと豊かになることでしょう。 社会状況を変える活動につながるよう祭典を成功させたいといわれる矢野市長の期待が胸を打ちます。 日本のうたごえ祭典へのワクワク感が広がっています。
美濃部恒子(北九州市)


5月26日
随想うたごえ時間・「いのちのうた(おにぎり)」憲法記念日に初演
 2月の全国総会で,病気で退職した52歳の男性が,生活保護も受けられず「おにぎりが食べたい」と日記に書き残して孤独死した事件に触れて,うたごえとして対応できなかったことの悔しさを語った北九州青い空合唱団の加来浩佶さんの発言を覚えていますか?
 うたごえ新聞でも紹介されて反響を呼びましたが,北九州青い空合唱団では,その時紹介した詩を元に,団をあげて創作曲に取り組みました。
 国民の暮らしや権利が脅かされ,行政から見放された悲惨な事件が相次いでいること,9条と共に「憲法25条」の大切さを話し合いながら,「憲法集会で歌う」ことを目標にして,何度も集まって推敲してきたとの事。
 「間に合うのか?」と不安の声もありましたが,5月3日の憲法集会では,出来たばかりの創作曲「いのちのうた(おにぎり)」が,ナレーションと「憲法25条」の条文を織り込み,「人間の歌」とセットで,北九州のうたごえ仲間30人によって演奏されました。 今の状況を見据えながら,「これを歌にしたい」「ここで歌いたい」,そして「なんとしても」の思いが実現させた原動力だったに違いありません。 もちろん,大好評でしたが,これからも歌われ,さらに練られて共感を広げていくことでしょう。 それが団による集団創作の強みだと思うのです。 11日の九州うたごえ連絡協議会の総会でもこの歌が紹介され,最後に全員で歌いました。 うたごえ運動のあり方と共に,これから計画する九州の創作合宿にも影響を広げそうですが,団長が全国総会で発言したことが一番の後押しだったのかも。 (失礼!)
 平和の歌と共に,池辺先生の新曲「私たちが進みつづける理由」,わが安広真理さん作曲の「誓い」,そして「ありがとう」など,届けたい歌が一杯生まれて60周年にふさわしいうたごえ運動を広げる。 あー今年も目が回る。
綾正博(福岡県のうたごえ協議議長)


5月5・12日
わが団今この曲「愛」福岡・女声合唱団ビオレッティ
 私たちは10年前の結成当初から愛と平和,子どもや家族への想いを歌い伝えていきたいと原田義雄さんの作品をよく歌ってきました。 そんな縁で昨年の第4回コンサートに向けて原田さんが「愛」を私たちのためにアカペラ3部女声合唱に編曲して下さいました。
 アカペラに慣れない最初は,まるでお経を読むかのような平板な歌になり行き詰まりを感じていた頃,原田さんが北九州まで足を運んでくださいました。 ご本人によるピアノ弾語りでの演奏に触れ,この曲の生まれたエピソードを心に刻む中で,四分音符の連続をどう「ことば」として伝え,一つひとつの言葉の連なり中にあるこの歌全体の「想い」をどう表現するのかを一人ひとりが考えながら演奏するようになりました。
 今年の国際女性デー集会で「いとし子よ」「愛」「母さんたちの贈り物」を演奏しました。 特に女性の多い集会ではこの3作品の演奏は内容的にもとてもまとまりがよく,心にしみた,明日からの活動の支えになる曲目だと毎回感動をよんでいます。
 現在は団員の詩に原田さんが曲をつけて下さった新曲「花筏」に取り組んでいます。 これからも原田作品を大切に歌い続けていきたいと思っています。
(ビオレッティ)


4月21日
シャッター商店街 歌で活性! 北九州
 いやはや,まことに珍奇なうたごえ喫茶(酒場)もあったもので,私たちのそれは,ドアが無い。 テーブルも椅子も下町の食堂そのもの。 北九州の”うたの広場”
 スタッフは,司会,ボーカル,受付,アコーディオンとギターはそれぞれ3台と人数だけは豪華版。 この一団が発する音は,えもいわれぬ不協和音。 楽譜は渡してあるのに絶対に持ってこない「実力派」も何人かいる。 お客さんがまた偉い。 伴奏の苦情はついぞ聞いたことがない。 音痴の自覚もなく,実にのびやかに歌ってくれる。 日頃閑古鳥が鳴くこの店も,この日ばかりは3万の売り上げというから,いかに酒が売れているか。 つまみはみんな100円というのもいい。
 このぬくもりといい加減さが功を奏して,続くは続くはついに60回。 満5年の祝賀となった。 参加者はのべ1734人。 51人参加のこの日のテーマは”寒いからあったまって帰ろうよ”というわけで,「高校三年生」に始まり,「北酒場」「星降る街角」・・・。 椅子は20ほどしかないから,後は補助椅子,店内は移動不能となった。 当然伴奏者はアーケードの路上。 手がかじかむから,バンドマスターの私も酒をいれる,気がつくと飲み過ぎている。
 そもそもこの企画は,シャッター通りと化した商店街の再生をかけ,商店の奥さんたちが自前で食堂を立ち上げたことに始まる。 テーマは「街おこし」。 下駄履きのご近所さんを集めたい。 通行人も「何だろう」と足を止めるからどんどん呼び込む。 かくして歌がメインになった。 そして,伴奏者の喜びは現場の中にしかないことを悟った。
 年金者になってみて,ひたむきに歌う人たちが潜在的にいかに多いかを実感している。 小さな実験場はまだまだ続きそうだ。
簾照男(福岡)


3月4日
駅頭で北九州青い空九条の会
 北九州青い空合唱団九条の会は3月2日,小倉駅頭で小倉憲法ネットの会と一緒に憲法九条を守るための宣伝と署名をおこないました。 「青い空は」「ねがい」「折り鶴」「太陽はSUN SUN SUN」などを歌いました。
加来浩佶(福岡)


1月28日号
随想・うたごえ時間
一人の団員がつないだ輪

 昨年の8月,団員のHさんが演奏会の打ち上げ最中に倒れ,数時間後に逝ってしまった。
 入団して2年程だったが,温和で誠実な人柄,明るく物怖じしない彼はどんな集まりでも輪の真ん中にいた。 そんな彼の訃報は,突然のことに加え,家庭の事情もあって,広くは行き届かなかった。 2ヶ月ほど経って,広島の熊谷勇二さんを介して東京から問い合わせがあった。 イタリア旅行を一緒に行った年金者組合の仲間達が,人づてにHさんが亡くなったことを知り,その状況を詳しく知りたいこと,彼の「偲ぶ会」をしたいとのことであった。
 12月に入って,「望年会」を兼ねた東京での集いに出かけた。 在京者だけでなく,京都,大阪,長野など各地から16名が集まった。 私だけは初対面であったが,こもごもHさんを語る温かい心情は,瞬く間に,私を仲間の一人として取り込んでしまった。 彼と共に歩いたうたごえのことを話すと,それぞれ,うたごえとの関わりや今年の東京での日本のうたごえ祭典のことなどにも話題は広がり,あっという間に時が流れた。
 数日後に写真とお礼の便りを,そして年賀状まで数通頂いた。 直接には知る由もない人の間をつないで情報が伝わり,新たな繋がりが生まれた。 ここには心が通い合う温かさがある。 ともすれば大量に流れるメディアに頼り,惑わされることの多い時代にあって,人と人の繋がりをもっと大切にしなければと改めて肝に銘じたのである。 働く人たちを足蹴に暴利をむさぼる大企業や,歴史を偽り,戦争の手助けをゴリ押しした政府を追い詰め,命を守る国民の運動はまさに正念場をむかえている。
 うたごえ全国総会を成功させ,うたごえを広げて人のつながりを線から面に変えて,60周年記念2008年日本のうたごえ祭典in東京へ実らせ,政治の流れを変えて,今年の一字を「真」にしたいものである。
綾正博(福岡県のうたごえ協議会議長)


1月7日・14日号
本「うたごえに生きて」
 「うたごえに生きて」読みました。 片道の電車賃を飴と歌集を持って全国を回りサークルをつくっていった・・・。 深い感動があります。 60年前,僅か20人の合唱団員が,全国に広めていった情熱に,今,触れている自分を幸せに思います。
美濃部恒子(北九州市)