みんなの詞

このコーナーでは,みんなの詞を掲載します。
気に入った詞がありましたら,作曲をお願いします。


ありがとう  〜妻へ夫へ子どもたちへ〜
石橋 近 2011.9.23

ぼくの前に ふたたび 現れてくれて
ありがとう
愛をなくして ひとりぼっちだった
ぼくの前に
若い時の 印象とは 違ったけれど
昔は知らなかった まっすぐな あなたを
たいせつにしようと 思ったよ
ぼくの前に 現れてくれて ありがとう

わたしのこと 訪ねて きてくれて
ありがとう
愛をあきらめかけて いたような
わたしの前に
若い時の 記憶は 少しありました
昔は知らなかった 強い心の あなたに
ついて行こうと 思いました
わたしのことを 覚えててくれて ありがとう

ぼくらに 元気に 生まれてきてくれて
ありがとう
子育てを あきらめかけていた 
ぼくらに
楽しいこと つらいこと あったけれど
子育ての 楽しさを 知り
ちゃんと 共に育とうと 思ったよ
ぼくらに 生まれてきて ありがとう

この世界は いやなこと つらいことが たくさんあるけれど
みんなで 心寄せれば きっと いい世界になるよ
子どもたちのために そのまた子どもたちのために
前を向いて しっかりと 歩いて行こう



しあわせ
 いしばしちかし 2011.9.10

わたしが ほとんどビョーキだったころ あなたが とつぜん訪ねてきた
玄関の重いドアをあけると
格子縞のジャケット グレーの帽子 手には茶色のアタッシュケース
まるで わたしの好きな 寅さんのような あなたが笑っていた

「元気でしたか、久しぶりだけど ぼくを覚えていますか?」 誰かしら
「昔 映画サークルでお会いしました。今も映画みてますか?」
最近、映画見る気力もなく 引き籠りのわたし
知り合いの病院の売店でアルバイト 細々と暮らしていたわたし
「はい、見ています」と ついごまかしてしまった
また来ます と言って帰ったあなた

近所の先輩に あの人 誰? どんな人? と聞いたら
さいきん奥さん亡くしてね たいへんなの でもとってもいい人よ と

その後 あなたは わたしの仕事先にも とつぜんあらわれた
おなじ出で立ちで 寅さんのように
白の軽ワゴンで来るあなたは 白馬の王子かも
そして お食事 映画 コンサート 山登りと
まるで 20代のようなデート 40代と30代なのに
ついには プロポーズ

なぜ わたしなの まえの奥さんは小柄だったらしいのに
なぜ 身長も体重も上回る 大柄なわたしなの?

「10年前のあの日 映画センターに 
ぼくが借りてきた ドキュメンタリ映画を みんなで見に行った時 
あなたもいて センターの人が『お姫様も一緒でしたか』と言った
そのとき あなたは映サにおいて 特別な人なのだと 思った。
その人が いまビョーキで 引き籠っている 
愛妻と死に別れのぼくが 相手になるのが 運命なのだと思った」と

それから 結婚 祝賀会は ちょっと古い会費制 ともだち、親戚の手作りの余興
子どもが二人生まれ エンジニアの仕事と 労働者のたたかいと 子育てとを
みんな楽しんだ あなた そして わたし
子どもたちは すくすく育ち いまはふたりとも青春まっただなか
あなたは還暦を迎え 活動も 遊びも いつもいっしょの わたしたち
そんなことが とっても しあわせ 



想い
あなたは いつも
わたしの心を温めて
元気を分けて
くれるのに…

なぜわたしは
あなたに
何かを
届けられないのだろう…

わたしの命、
わたしの活動…

誰かの役に立つのかな?


こらえきれず
むせび泣いた

頂いた元気や勇気を、
恩返し出来なくてごめん

でも
わたし

諦めずに 投げ出さずに生きているから…

いつかきっと
何かを
届けられるように

頑張り過ぎず
あきらめない

投げ出さないけど 焦らない

マイペースでも
いつかきっと。



ある日
 石橋 近 詩

ある日突然あなたは訪ねてきた
心の病気で引きこもっていたわたしを
お元気でしたか久しぶりですね
ぼくを覚えていますかと

あなたは伴侶を亡くして再婚したいと言っていたとか
病気の私でいいのかと紹介してくれた人に聞きました
彼が決めるわよと言われた

私の病気は頭の中を他人にかき回される感覚があり
誰かに、どこへいけ、何をせよと命令されていると感じた

それからあなたは時々私のところに来て
面白い話をしてくれたり
軽ワゴン車でコスモスの花が咲いたところに
連れていってくれたり
一緒に映画を見たり

あなたは 私が好きな映画の寅さんみたいでした
出で立ちまでも
チェックのジャケットに
小さなアタッシュケース持って

それから まもなく私たち結婚して
子どもが産まれて 育って
もう20年
まだ時々病気が出るけど
私たちシアワセ


おー 還暦 (おーシャンゼリゼのメロデイで)
いしばし ちかし 20109.1.19

街を歩く心軽く
どこへも行ける気楽さよ
仕事もやめて還暦を迎え
年金生活楽しみ

おー還暦 おー還暦
いつも何かすてきなことが
ぼくらをまつよ
お 還暦

だけどぼくらのささやかな年金
64(歳)まで もらえない
仕方ないから 安い給料で
アルバイトしているよ 還暦

おー還暦 おー還暦
やはり何かつらいことが
団塊をおそうよ 
お 還暦


日田の町並み
いしばし ちかし 20109.1.10

代官所跡の 高台から 
見下ろす街
古い町並み 豆田町
鈎の手の ある通りに
なまこ壁の 蔵造り
そこは掛屋の 大きな屋敷
お嬢様が ご案内
日田は天領 歴史の街

豆田の町を めぐり流れる 
堀川は
昔商人が 作らせた
花月川(はなつきがわ)から 水を引き
三隈川へと つないでる
船着き場に つけた地名は
盆地の中でも 港町
日田は水郷(すいきょう) 歴史の街

「道(い)うことを休(や)めよ 他郷苦心 
多しと」
青年育てた 咸宜園
豆田近くの 塾の跡
淡窓の教え 心に秘め
育った子らは 社会に出て
ふるさと守り 人々(ひと)守る
日田は田園 優しさの街

解説
広瀬淡窓と咸宜園について
道(い)うことを休めよ他郷苦辛多しと
同袍友有り自ずから相親しむ
柴扉(さいひ)暁に出ずれば霜雪の如し
君は川流(せんりゅう)を汲め我は薪を拾わん

日田の江戸時代の偉人、私塾「咸宜園」(かんぎえんと読みます)の主宰、広瀬淡窓が書いた漢詩の音読みです。
高野長英も学んだとのこと。
淡窓の弟、九兵衛は実業家で豆田の堀川を作ったといわれています。


日田慕情
いしばし ちかし 2009.10.25

1.
星隈 月隈 日の隈と
三つの丘巡る 三隈川
冬の底霧 白くただよい
前行く人を 消えさせた
お下げ髪の初恋のひと

2.
五条殿山(ごじゅどんさん)の頂上は
戦国(いくさ)の世の 見張り所という
盆地見渡す岩に立ち
往時の武士の心意気
感じた13歳の春

3.
天領時代の 名残ある
古い家並み 豆田の町
掛屋の屋敷の雛飾り
草餅 抹茶に舌鼓
新妻(つま)と 楽しむ 郷里(ふるさと)の味



三隈川旅情
いしばし ちかし 2009.10.24

朝霧湧き立つ 三隈川
日田の底霧 深い霧
朝日も溶け込む 白い闇
道行く人は  影法師(かげほうし)

水郷(すいきょう)日田は 水の街
濁り無いのが 言い伝え
山は紫 水清く
盆地にただよう 底霧よ

夏の川面に 屋形船
温泉街(がい)の 川辺には
そぞろ歩きの 浴衣ゆき
恋人たちの 手も触れる



共に立ち上がる
いしばし ちかし 2009.8.22

会社は僕ら正社員を共犯者にした

非正規社員の低賃金で利益拡大して
僅かに正社員の一時金を増やした
不況になったと言って
非正規社員を大量に解雇して
正社員を守ったと言った

会社は僕ら正社員を
非正規社員を強力に搾取し、使い捨てにする共犯者にした

僕ら正社員は立ち上がる
共犯者にさせられないために
非正規社員と共に
非正規社員と自からの生活と権利を守るために



三隈川旅情
  いしばしちかし

山から見下ろす 朝霧の中に 
浮かぶ島は 日の隈 月隈 星隈
三つ丘をめぐる川は 三隈川
盆地の底の 白い海のような霧は 日田の底霧

月隈は 代官所の跡 
天領日田の 豆田(まめだ)の町を 見下ろす
星隈は 川に突き出た 古墳のある丘
太古は湖だったという 盆地の 端にある丘だった

日の隈は中の島 城跡がある亀山(きざん)公園
幼子が 桜の馬場の 回転ブランコで遊んでた

川べりには 昔風の温泉旅館と
新しい観光ホテルが 立ち並び
川岸には 旅館の屋形舟がならんでいる

三隈川 岸辺の散歩道
太鼓橋で わたる中の島
16歳の おさげ髪
初恋の人と歩いた 思い出の道



祇園まつり
 いしばしちかし  2008.12.20

のどかな お座敷太鼓と 
哀愁おびた横笛の音に乗って
祇園山がやってくる 
金糸銀糸の あでやかな刺繍の 見返しは後ろ姿
正面には 
武者が刀を振りかざし 
姫が踊る人形を乗せ
ソーメンと呼ばれる 白く長い竹串のようなものが
白鳥の羽のように 山笠の左右でゆれる
太鼓と笛は山笠の中

引き縄に取りつく 幼子は
そろいのはっぴに 足袋 わらじ
腰には 大きな鈴をつけ
おさげの頭も 豆絞り
梶棒握る 若い衆は
勢い水と汗とで いい男

ここは盆地と水郷(すいきょう)日田の街
天領とされ 代官所の城下町
年寄りいうには 祇園まつりは京都風 
祇園山の間を お神輿も走る
神輿は江戸の下町のように はげしく練り回る

祇園山とお神輿は 八幡(はちまん)神社に勢ぞろい
病魔退散 平和な暮らし 願って
水郷の町にくりだす
夜は神輿が 提灯点けて 
若い衆だけで 駆け抜ける
明日に 願いを込めて



マイウエイ60年
 いしばしちかし (第1稿2008.12.7)

60年いい人生だった
これからもきっと いいことが たくさんあるだろう

大きな川が流れる 盆地の町に 生まれた
駅前通りの 小さな店の商店街
川の中島の 社(やしろ)のある公園
線路沿いの 国鉄官舎の広場
八幡(はちまん)神社の深い森
そこが ぼくらの 遊び場だった

音楽の時間に若い先生は アコーデオンで
「もずが枯れ木で」 を 教えてくれた
おさげ髪の かわいい少女に
片思いのまま 町をはなれ 工業都市の高校へ進んだ
方言の違いにとまどい 無口な生徒と思われた

体育大会の クラスマッチ 苦手でもがんばり
頭もよく 性格もいいやつ と評価され
いじめてはならぬと 番長の お墨付きだったらしい
40歳になって 同窓会ではじめて聞かされた

エンジニアをめざして 社会に出て 
夜学に5年通い 6年越しの恋愛結婚
どんがめのような 仲のいいカップルと言われ
働く人の生活向上と 世直しが趣味 と 
二人三脚で 歩き回った

妻は病死 二年後再婚して 子どもたちを授かり
子育ても 一生懸命やりながら
うたごえ 映画 世直し そして エンジニア
忙しい日々は 60才のいまも続く

これからも 元気な限り 続けたい いつまでも 



俺たちは走り続ける
 創作グループ 建交労 九州定温輸送分会(長峰誠治・蔵本納・
           廣石敦・金澤徹・撰定健一郎・小崎裕美・青木勉)
           一ノ瀬和世・八記久美子・山田敏夫

「安全よりももうけが大事
くちごたえなんか許さない
延着・トラブル自己責任
文句を言わずに働けよ」
 俺たちは道具じゃない 金のための道具じゃない
 俺たちは生きている 人として生きている

廃車のように 切り捨てられた
やりきれない この はがいさを
おもいや怒りを ぶつけたい
「すまなかった」と 言わせたい
 組合をつぶさせない 不当解雇許さない
 俺たちは生きている 働いて生きている

仲間がいるから つよくなれる
暗闇の中に 灯(ひ)がともる
俺たちの気持ち 伝えたい
働く仲間に 伝えたい
 たたかいの その中から 明日が生まれてくる
 俺たちは生きている 闘って生きている

 俺たちは走り続ける 家族そして仲間と共に
 俺たちは走り続ける 働く者の誇りのために

※ 建交労九州定温輸送分会の,不当解雇反対裁判闘争支援のために作られました


笑顔の花
 原詞 ケア・ワーカーズ・ステーション帆柱のみなさん
 編詞 山田敏夫
 作曲 山田敏夫

この町でこの家で 暮らしていきたい
そんな願い受け止めて 支える私たち
夏の調理 入浴介助 汗が流れる
「ありがとう」の一言で 笑顔になれる
 人と人が助け合い 心と心通わせる
 共に生きるこの町で 笑顔の花を咲かせたい

病気でも一人でも 豊かに生きたい
そんな思い受け止めて 支える私たち
部屋の掃除 話の相手 時間足りない
「待っていた」の一言で 元気になれる
 人と人が助け合い 心と心通わせる
 共に生きるこの町で 笑顔の花を咲かせたい

 人と人が助け合い 心と心通わせる
 共に生きるこの町で 笑顔の花を咲かせたい

※ 「ケア・ワーカーズ・ステーション帆柱」5周年記念


いちばんだいじなしごと
   作:洞南司郎(くきなみしろう)

山の緑を守りたい
緑はたいせつな水を保存し
山崩れを予防する
川の水を生み出し浄化し
青い海の美しさも守る

海の青さを守りたい
海は生命のみなもと
干潟は海の生命のゆりかご
水平線は希望の象徴(しるし)

山も
海も
すべての生き物と
人間にたいせつなもの
新しい生き物と
さわやかな空気を育む              
たいせつな装置

それを守る社会をつくりたい
それが人間のいちばんのしごと
人間とすべての生き物が
永久(とわ)に共存できる

地球を守ることが
人間のいちばんだいじなしごと
人間が何のために
生きているかのこたえ


オムライス
   作:洞南司郎(くきなみしろう)

母さんのオムライスは
ごはんがところどころで固まっているから
美味しくないと
子供たちが言う

「あいつに作らしてみたら?」で

お父さんの出番
ご飯をフライパンの上でパラパラになるまで
炒めて
塩胡椒とケチャップで味付け
卵焼きを作ってかぶせ
皿にかっこよくもりつけ

卵焼きに乗せるケチャップは
子供たちの好きなようにボトルごと渡す

「あんたの王子様はどこにいるかな」とかあさんが聞くと
「いま、会社に行って仕事している」と応えた幼いころの娘

あんなに父親べったりだったのに
今は途絶えている父と娘の対話
「あいつ」が作ったオムライスは心の橋渡しになっただろうか


おにぎり
   作:洞南司郎(くきなみしろう)

母さんのおにぎりは
固くていやだと
娘が言うから
父さんが握ってやった

母さんの手は大きく
指が長いから
おにぎりは固い
父さんの手は小さく
指が短いから
おにぎりは柔らかい

塩を丁寧にまぶして
冷まして海苔を巻き
ラップに包んで置く

無言で娘が持っていく
娘と父さんは会話が断絶しているけれど
おにぎりはささやかな対話


黒崎街道音頭
   作詞・作曲:山田敏夫

ここは黒崎 宿場町 人が行きかう 東へ西へ
いつの時代も 笑顔あふれる  お出迎え
サッサ行こうよ 心も軽く サッサ行こうよ 連れ立って
 黒崎の街を 歩きましょう

道はつながる 長崎へ 夢は拡がる 人から人へ
賑わう街の そばに佇む  正覚寺(しょうかくじ)
サッサ行こうよ 心も軽く サッサ行こうよ 連れ立って
 藤田の街を 歩きましょう

波は穏やか 洞の海(くきのうみ) 船は賑わう 黒崎湊
城を見守る 街の氏神  岡田宮
サッサ行こうよ 心も軽く サッサ行こうよ 連れ立って
 熊手の街を 歩きましょう 

曲里(まがり)坂道 松並木 旅を祈った 幸神(さいのかみ)
江戸と出島と 日本と世界  むすぶ道
サッサ行こうよ 心も軽く サッサ行こうよ 連れ立って
 あなたの街を 歩きましょう

正覚寺:藤田にある寺。
洞海(くきのうみ):洞海湾(どうかいわん)の古い言い方
岡田宮(岡田神社):熊手にある神社。
曲里:地名。長崎街道の松並木が残っている。
幸神:地名。道祖神が奉られていて,旅の安全を祈願した。

※ 黒崎藤田商店街「ビッグ・ママ・キッチン」の歌う会で歌われています。
※ 藤田商店街では,3番の歌詞の一部を変更しています。
  「岡田宮」→「春日宮」,「熊手」→「藤田」


お父さんに会いたい
   詞:八記久美子
(1) 私たちは 5人家族    お父さんと お母さんと
   兄妹(きょうだい)3人    でも お父さんは もういない

  仕事に疲れているはずなのに   やさしかった お父さん
  もし生きていたら  いま考えていること
  いっぱいいっぱい話したい   お父さんに あいたい
  お父さんに あいたい

(2) 私たちは 5人家族    お父さんと お母さんと
   兄妹(きょうだい)3人    でも お父さんは もういない

   煙草とコーヒーと音楽が    大好きだった お父さん
   もし生きていたら    誰にも言えない秘密
   いっぱいいっぱい話したい    お父さんに あいたい
   お父さんに あいたい

  でも お父さんは もういない

 ※ この詞も,TOTO釘宮訴訟を支援するために作られた詞です。
   曲はまだありません。


真実を求めて
  詞:八記久美子
  補作詞:山田敏夫
  作曲:山田敏夫

(1) 子どもの成長見守り  生きると手帳に書いた
   昼も夜も命を削り     働いていた
   「血を吐くまで働け」   そう命じたのはだれ
   疲れていたお父さんに 言ったのはだれ

   人間らしく働く      権利のために
   真実をあきらかに    あきらかにして

(2) 明るい将来目指して  生きると手帳に書いた
   休みもなく命を削り   働いていた
   「白髪になるまで働け」 そう命じたのはだれ
   話すことも会うことも  出来なくなった

   人間らしく働く      権利のために
   真実をあきらかに    あきらかにして

    人間らしく働ける    社会のために
    真実をあきらかに    あきらかにして

 ※ TOTO釘宮過労死訴訟を支援するために作られました。