釘宮過労死訴訟とは?
釘宮過労死訴訟とは?

 1998年(平成10年)5月9日に,北九州のある情報処理会社に勤めていたシステムエンジニアの釘宮さんは,42歳の若さでくも膜下出血で亡くなられました。
 システム・エンジニアとしてコンピュータのソフト開発に従事し,土曜,日曜も勤務。5月の連休の休日も1日のみ。
 こうした日常勤務,時間外労働を積み重ねた後,早朝,自宅で会議の報告資料を作成中,くも膜下出血を発症。 3日間の入院治療の甲斐なく,帰らぬ人となりました。
 私たちは,過労死110番を通じて遺族の労災申請を支援し,この春,労災認定をかちとりました。
 そして今回,過労死を発生させた企業責任を問うため,民事訴訟の提訴に踏み切った遺族を支援するためにこの会をつくりました。
 (「釘宮過労死訴訟を支援する会」のパンフレットより抜粋)


裁判・支援する会の動き
2004年
☆5月17日(月):勝利和解報告会
 支援する会解散総会
 最終会員数:個人196名,団体23団体
☆4月22日(木):和解成立
☆2月19日(木):第12回公判・・・中止
 結審の予定→和解勧告により中止
☆1月22日(木):第11回公判 (傍聴支援者:24名):大雪
 原告釘宮美加さん,俊介さんの証人尋問

2003年
☆12月18日(木):第10回公判 (傍聴支援者:30名)
 原告釘宮美加さんの証人尋問
☆11月19日(水):第2回支援する会総会
 結成〜第2回総会
 ・役員会:13回実施
 ・ニュース:11号まで発行
 ・各種団体への訴え,宣伝行動:多数実施
 ・会員数:182名
 ・CD販売数:122枚
☆11月 6日(木):第9回公判 (傍聴支援者:26名)
  証人尋問
☆10月 2日(木):第8回公判 (傍聴支援者:40名)
  証人(S氏:元上司)尋問
☆ 9月18日(木):第7回公判 (傍聴支援者:11名)
☆ 9月 9日:第4回学習会  (参加者:35名)
 場所:生涯学習総合センター
 内容:職場におけるハラスメントの実体
 5名のシンポジスト
☆ 8月 5日(木):第6回公判 (傍聴支援者:1名)
☆ 6月19日(木):第5回公判 (傍聴支援者:15名:台風直撃)
☆ 5月 8日(木):第4回公判 (傍聴支援者:23名)
☆ 3月28日(金):第3回学習会 (参加者:55名)
 内容:現代日本における過労死といじめ
 講師:熊沢教授(甲南大学)
 共催:北九州地区労連,北九州労健連,九州社会医学研究所,北九州第一法律事務所
 ※講義録は裁判の書証として提出
☆ 3月13日(木):第3回公判 (傍聴支援者:19名)
☆ 1月23日(木):第2回公判 (傍聴支援者:27名)

2002年
☆ 12月 5日(木):第1回公判 (傍聴支援者:48名)
☆ 11月22日(金):第2回学習会 (参加者:26名)
 場所:西小倉市民福祉センター
 内容:釘宮過労死訴訟の理解を深めるために
 講師:河辺弁護士
☆ 10月 3日(木):提訴支援する市民集会 (参加者:約100名)
 場所:ムーブ
 内容:「釘宮さんの過労死と企業責任」のテーマで3名のパネラーが発言
 ※支援する会結成
☆ 3月:労災認定

2000年
☆労災申請

1998年
☆ 5月 9日:死亡 (42歳)
☆ 5月 7日:くも膜下出血で入院

1994年
☆1月:東陶情報システム(現:東陶インフォム)入社


資 料
・新聞記事
・詞(支援する歌)