平 和 の 風  
北九州「平和の旅へ」合唱団・ニュース5号 (2005年7月18日)

7月9日・第5回練習 ・・・ 2名の入団者がありました
 北九州「平和の旅へ」合唱団の第5回練習が,小倉南生涯学習センター音楽室で7月9日(日)に行われました。 2名の入団者があり,73名の合唱団になりました。 練習参加者は,指揮の森岡先生,ピアノの松本先生,歌い手等37名の合計39名。 福岡から見学の方も来られました。 ほぼ全曲を練習しました。
 9月からは,語り部やピアノ以外の伴奏も加えた,通し練習をする予定です。

                





「平和の旅へ」の創作・演奏活動に関わって ・・・ 松下進さん
 「平和の旅へ」で,「苦しみの日々」と「平和の旅へ」の作詞をされた「合唱団ながせん」の松下進さんに,メッセージを寄せていただきました。

 被爆40周年の年(1985年)に「文化の夕べ」が計画され,実行委員会からその内容作りのために私にも声がかかりました。 フルート独奏やギター合奏・合唱と群読などの案が出る中,被爆者の苦難に満ちた半生をテーマに歌ができないだろうか,との案も。 その頃,渡辺千恵子さんはバリアフリーの家が長与にできあがり,車いすで自活していました。 千恵子さんなら親しくしている,という「合唱団ながせん」の長野氏がインタビューに出かけることになりました。
 カセットテープに納められた千恵子さんの話は筋道が立っていて,まるで推敲を重ねた原稿を元に話されているように,話に無駄がありませんでした。 しかも,起承転結が明確で結びは聞く人に勇気を与え,希望に満ちあふれたものでした。
 メンバーの目標はすぐに決まりました。 渡辺千恵子さんの半生を,それぞれに歌になるような詩にしてみようと。
 私は千恵子さんが音無町にお母さんと住んでいた頃,演説会の会場となった梅ヶ崎中学校の体育館でタクシーを降り,体育館の座席まで抱いて同行したという実体験がありましたが,もっと千恵子さんのことを知る必要を感じ,千恵子さんが書いた2冊の本を求めて読みました。
 私の心に強く残り,なにか書いてみようと思った内容は,次の2点でした。
@ 被爆者としての生死をさまよった時期の肉体的・精神的な苦しみと,親子の心の機微
A 車椅子に乗れるようになってからの,人との出会い・生き甲斐。希望につながる人生,それ以後の人生
 これらの詩に,松永・園田という2人の作曲者が,詩以上に素敵なメロディーをつけてくれて,2つの曲「苦しみの日々」「平和の旅へ」が完成しました。 初演の後,何度が要請を受けて演奏する中で,「平和の旅へ合唱団」が形作られていきました。

 20年に及ぶ演奏活動の中で,渡辺千恵子さんのすぐれた点について,私はこう思っています。 次世代を担う子供達を大きな心で信じ切っているという点です。 天衣無縫という言葉がありますが,それくらいの純粋さで子供達を信じきっているのです。
 被爆体験の語り部としての活動をしながら,私たちの演奏を聴いて,渡辺千恵子さんは,感想をこうもらしたそうです。 「私が死んでも,この演奏を続けて貰えば,もう安心」と。
 いろんな感動と勇気を貰った演奏活動についても,1,2記しておきます。
  10年ほど前,荒れた中学・荒れた高校・学級崩壊という言葉がマスコミに取りざたされていた頃,その荒れた中学・荒れた高校から演奏依頼を受け,市内はもちろん県外まで貸し切りバスで何度も演奏に出かけたことがあります。 割られた窓ガラス,壊れたトイレの戸。 私たちはそんな情景を目にし,会場の体育館に向かいました。 演奏体制にはいると,茶髪の生徒が目にはいります。 しかし,演奏に入ってしばらくすると,例外なくデレッとした態度から,最終段階では聴き耳を立てているのが感じられたのです。 その度に「千恵子さんの心が通じた」と感じました。
 次に述べる体験は,私自身の認識を改めたことでもあります。
 「平和の旅へ」を理解し,30分という長時間,静聴できるのは中学生だろう,小学生はせいぜい5,6年の高学年までが限度だろうと決めつけていました。 しかし,熊本県の護川小学校に出かけて行って,それが全く浅はかな考えにすぎなかったことを思い知らされました。 ここでは,1年生が最前列に座っていました。
 最後まで熱心に聴いてくれただけではありませんでした。 演奏終了後,雪のちらつく中,出発する私たちのバスを追いかけて見送ってくれました。 別れを惜しんで涙を見せる子もいました。 そして私たちを呼ぶために,バザーや廃品回収などの事前の行動があっていたことを後で知りました。
 このときの感動をいち早く歌に作り上げたのが園田鉄美氏の「今この時代に」です。
 翌年2000年九州のうたごえ長崎祭典では,護川小学校の卒業生達が私たちの案内に応えて長崎まで出てきてくれました。 そして「平和の旅へ」の演奏に加わってくれました。
 「平和の旅へ」の演奏活動を続ける中で,平和の輪が大きく広がり,新たな感動が生まれることを信じています。