平 和 の 風  
北九州「平和の旅へ」合唱団・ニュース1号 (2005年5月8日)


第1回練習,44名の参加で大成功!
 北九州「平和の旅へ」合唱団の第1回練習が,小倉南生涯学習センター(旧:小倉南市民センター)音楽室で4月3日(日)に行われました。
 参加者は,指揮の森岡先生,ピアノの松本先生の他,39名の歌い手など,合計44名。
 「ボタンの向こうは冬」「いちめんの焼野原」「語って下さい友よ」の3曲を練習しました。
 入団申込は56名。 入団の連絡があり,申込書未提出の方を含めると,5月3日現在の団員数は64名です。


今,私たちの“平和への意志”を
うたい,ひろげましょう

北九州「平和の旅へ」合唱団団長 小林省三
 私たち(夫婦)は,わりあい最近,北九州のうたごえに参加しました。
 2002年,北九州で「日本のうたごえ祭典」が開催されるにあたり「平和の旅へ合唱団」の団員募集があり,私たち夫婦も,これに入れば「日本のうたごえ祭典」に参加できると期待して,応募しました。 うたはそんなに難しくなく,ドラマがあって,しかも,日色ともゑさんと共演できる! 指揮の中澤先生も素晴らしくて,11月の本番では感激的に満足しました。
 つづけて12月はじめだったか,「平和のための戦争展」の行事として,JR門司港駅の4階ホールで「平和の旅へ」をうたうというので,参加しました。 300人ほど入ったか,これ以上入ると床が抜けるからとお客さんを断る一方で,ステージにもすでに50人以上が上がっています。 えっ!大丈夫? なんとも怖いステージでした。
 しかし,長崎の原爆被爆の状況,その中で渡辺千恵子さんの辛い身体と心のようすをうたい進むにつれて,聞いている年配の皆さんがハンカチで目を拭い,うたっている私の隣の新日鉄八幡うたう会のオジさんたちも声を詰まらせ,やっとうたっている,という中に,私も巻き込まれました。 私の妻は1才半頃広島で被爆した最も若い直接被爆者で,被爆者運動に関わっていて,その縁で私も高齢の被爆者の方々の生きざまに接しているので,今,ハンカチを握りしめながら私たちのうたに共感して下さっている皆さんの心が,よくわかります。 うたはすごい,うたうことで皆さんの役に立っているんだ,と震えました。
 その時に,長崎ではいろんな学校の平和学習や団体の行事などから声がかかれば“いつでも,どこでも”この「平和の旅へ」を届けるという活動があることを聞いて,北九州でも,それをやろうと声が上がりました。 そうなれば私も参加したい,いつから始まるのかな,とひそかに期待していました。
 やっと今回,今年10月に福岡県で開催される視覚障害者の全国大会(全日本視覚障害者協議会・福岡大会)でこれをうたっちゃらんねと声がかかって,事務局が立ち上がり,この期待が実現しようとしています。
 原爆被爆後60年,私は憲法9条は国民の間に定着した不動の真理であると信じて,楽観していました。
 しかし,今これを変えて,日本を再び戦争する国にしようとする勢力の策動が本格化しています。 危機です。 これを許すわけにはいきません。 私たちは,世界で初めての核戦争を経験した事実をもう一度思い起こし,憲法9条の価値を,より多くの人々とともに再確認する必要があります。
 「平和の旅へ」は素晴らしいうたです。 私たちが心をこめてうたい,より多くの人々に共感を広げることができれば,これは力になります。
 うたう私たちを広げましょう! 若い人々に,高齢の皆さんに,うたを届ける機会をふやしましょう!